坂口安吾「戦争と一人の女」
お客様、一期一会下さいました皆様、
お時間を共にさせていただきましたこと本当に有難うございました。
上田さん、ご機会に感謝します。
千賀ゆう子さん、とても尊敬しております。
共演者の皆様
スタッフの皆様、本当に有難うございました。

新潟りゅーとぴあでの公演……
坂口安吾生誕祭実行委員の皆様、
とてもとてもあたたかく、
家族共々、本当にお世話になりました。
あたたかさ、忘れません。

佐渡を見ることができました。
安吾が眺めていた海。
私の母が生前よく歌っていた
「海は荒海 むこうは佐渡よ 」
生まれてはじめて日本海と佐渡の情景を目にすることができ、空の母に思わず報告をしました。この目で見ました!

横浜公演
共演者の皆様、不束者につき申し訳ありません。
照明伊藤さんは新潟から
新潟から応援にかけつけてくださったり、ここにもまたあたたかさ。ありがとうございました。

そして、フレッシュな息吹は眩しかった。


休養から1年、更に家族の事情もあって、
まだあと半年はお休みせねばといったところ、
家族込みで考慮しますので出演されては?と演出の上田さんが言って下さり(なんと貴重なお気遣い)
家族会議でシュミレーション重ねて、
坂口安吾やらせてもらおう、とお返事しました。
家族を案じてくださる。大変贅沢でありました。


客演をすることはとても怖いことでした。
舞台に関わる身として、心身健康ではないと沢山迷惑をかけてしまう。

日々を自分の意志を持って動けるよう。

そのために、
体調を崩した原因…自分が置かれた状況を見つめ直す必要があったし、
対策…復調のために通院と合わせて日々できることとできないことわけねばいけなかった。過信せず。
(第三者に病気を説明することの必要性をはじめて痛感しました。治療中に孕む病状のアップダウンで関わる方になるべく不快な思いをさせないためです。
何故そのような症状なのか説明をして理解に及ぶものと、そうではない病状があり、後者はどう説明しても伝らず、いまだに考えているところです)

私が周囲の方々の生きる害に、もうこれ以上なりたくない心持ちではありましたが、療養マラソン坂を登り中に船で大海原に連れ出していただいた。
本当に厄介になりました。

応援する、という家族の声、そして共にしていただいた日々に深く感謝致します。

本当に
ありがとうございました……!
このいただきました一期一会をずっと心に持って、また生きていきます。





「戦争と一人の女」
所感

坂口安吾の目を通した戦火であぶりだされる「人間」は、
想像しても想像しても、想像力の壁に当たることになり、徹底的に打ちのめされました。

本年えうれかで「楽屋」上演に取り組んだ大きな理由の一つに、
父母の間あってさいごまでなくならなかった「世代差の遣り切れなさ」を追及する、がありました。
…父…戦前生まれ、生きることを粉々にした戦争の痕、人間の弱さ愚かさ虚無が及んだ人間への不信感。

戦中生まれ戦後育ちの母が、父のその痕を理解できなかったこと。
人間は理性でコントロールできる、それ(理性と呼ぶもの)がいちばん美しいと心のどこかで信じていたこと。


「知っている人」と「知らない人」の
捉え方、思考根本の差、
歯痒さとやりきれなさ、存在の心許なさを烏滸がましくも追求できたらと考えていたのだけれど。
(それというのも、歳を経て、色々と失くしていくなかで逆に
「あのときの先達のあのことば」をちょっとだけわかるようになってきた。
当時私の態度はとても傲慢にうつっていただろうし、いまだって誰かはそう思っているだろう、
父母先輩あの方もあの方も、さぞ憂いただろう、と。
「知らないこと」で、随分と強気に世の中にあったと。私は私の勝手な想像力で想像したつもりになっていたと。)


原爆記念館展示がリニューアルしたとき、経験者は「原爆はこんなものではない、もっと酷いんだ」と嘆いたとニュースにあった。
戦争展示のリニューアル。
現代の私達に受け入れられるよう現実がデフォルメされて伝わっていく。
ドキュメント、を受け入れることは、
そこに在った人々への敬意があると思うのだけれど、

受け入れられやすいように、凄惨さが削ぎ落とされて改竄されてしまっていく。
同時にそこに生きた人々を忘れていってしまう。
自分自身が守られる時間を沢山与えられることによって、すっかり「目」まで弱くなってしまった。


時の経過はことごとく無情なんだと思わずには居られない。それがずーーーーっとこの地球の上は続いてきたんだ、なかなかタフだと思う。

無情なまでに待たない時。「時が過ぎていく」摂理で生まれる 風化。
戦争の風化。

「戦争と一人の女」を演じようとする日々においてそれらを強く感じました。
こうやてどんどんと時が流れていくのかと。


坂口安吾が指摘した人間の脆弱さやタフなところを(人間を嘆くだけでは終わらない、身をもって生きるために必要だった指摘、生きることへの愛情)をこれでもかと身にしみることになり、

お寺の鐘が響くように終演したあとも、ずっとずっとこたえています。
鐘になってうたれたような感じです。