カテゴリ:

先日、「再演」舞台の観劇に、下北沢B1に赴きました。

トリガーライン「祝祭」。
2008年は「La Fiesta」という題名にて明石スタジオで上演。
こちら、僭越ながら出演(旧名)させていただいた舞台でした。
主宰の林田さんは、今でも尊敬している俳優、クリエイターさんの筆頭で、
今でも影響を受けております。遠いですが。
今後も影響を受けていくのだと思います。


1996年、在日ペルー大使館が襲撃を受け、その人質救出をベースにした人々の交錯劇。

構成も大きくかわって、心と目の変遷を感。

不純物をよしとしない清廉な空間は観劇側の不純物をも露にして、大変心に痛い舞台でした。(良い意味です)

ガランとした素の舞台で、ずっと立たなくてはなならないというのは恐ろしいことです。手の動き一つだって侮れない。
嘘もへったくれも何もかも全部ひっぺがされてスコーンと見えてしまう。

強い立ち姿にと感じたことは「信念」と「信仰」。
戦後の一番の憂は私自信も感じている「骨の軟化」です。
私なんぞ、もはや骨もなく、幻想のように漂ってるだけかもしれません。ふにゃふにゃと。

誰かを何かを信じる心は、それに馴染めない側から見ると絵の中のデキゴトになってしまうかもしれないけれど。
信じるものを信じようとする心の清廉な立ち姿ってのは凛と強い。
観劇手は様々な視点で観ますから、感想に何を書くというのは様々かと思いますが、
個人的に一番心突くところは、立ち姿。
穿たれて穿たれても立っていこうとする立ち姿に遇えたことは、とても貴重であります。


オイ、オレなにやってんだなにやってきたんだ……そう戒められる舞台。

人生色々あるよケセラセラと心意気の深い先輩方に囲まれて、心境、はっと立ち止まってしまった足取りに、こういう景色もあったのか雨の景色も晴れの景色もまた一興。
さて一歩踏み出してみるかまだ一歩が出ないけれど。

通信で。用が足りてしまうこの世のなか。
それでも生のお芝居が観たい、
足を運んで下さる、
本当に有難うございます。

実像にあいにくるってのは、情熱の化学反応に逢いにくる。
いい芝居には純化した情熱がありまして、キラキラギラギラサラサラザラザラギトギト、いつまでも心に残って眩しくって痛いもんです。
ああ痛い!生きてるんですね。


先日、あやめ十八番「雑種 晴姿
観劇に行きました。

眩しくって、なんて痛いんでしょうね。

主宰堀越涼氏の描く本の言葉の並びには日本語への想いが溢れておりまして、
家族への想いが溢れておりまして、
純化して純化して、キラッキラと痛いこと。さながら日本刀です。
(いい意味です)


雑種 晴姿には、参道でお団子屋さんを営む母と三姉妹の、朝晩風雨晴天流れる四季折々に出逢った人々との「一期一会」が描かれておりました。

一期一会、よく使うようになってしまいましたが、安直には使わないようにしたい言葉です、けれど、生きてく日々時々は一期一会と言わずに何と言ったらいいのか、稚拙な私の辞書にはありません。
アッとそのときその人と逢っちゃう、アッと境遇に遭っちゃう、アッとアッ……?と気づいちゃう。一突きで、思わぬ方に玉が転がっていっちまう。毎日同じような時間でも、雲一つだって光り一つだっておんなじことはないんですね……。

舞台に居る役者さんが一期一会しており、かわりが効かないってこういうことだと人生の相関図のようでした。意地らしい。


堀越氏からの口上が、
切り開くような切れ味の声音と言葉が大変に鮮烈で切実で。年々泥につかりながらヘトヘト生きてって、そこで鮮烈な光明に遇うと、のっけから涙腺がつんと穿たれるわけです。

終盤の格言もまたとても意地らしい。
氏が仰るように、誰かの人生に登場できたらそりゃもう幸いです。
「いらっしゃいませ!」って意地らしいですね……。人生、足早に過ぎ去っていきます。


と、ふっと振り返った景色が大変眩しくて、
もう会えなくなっちゃった人たちになかなか会えない人たちに、会ってまもない人も、兎に角出会ってくれた人や状況や境遇に、言いたくなりましたよ、覚えていられることは覚えてます。


大変大変佳い舞台でした。まさに晴姿。
もうすぐお盆ですね。光陰矢のごとし。

有川マコトさんが囚人役に扮されている
「ショーシャンクの空に」を観劇しに
森ノ宮ピロティホールにやってきました。

image


隣の喫茶カトレアにて。
image


心静めつつ。一期一会に胸が高鳴っております。

花村

↑このページのトップヘ