来春の休養明け目指しまして、
闇夜みから。
カサカサと落ち葉を踏み、もう桜の葉も散っていたのだ冬なんだ。文では気楽な印象ですが、こころもちは登山八号目あたりにつき、視野は狭く、視線は足の少し先です。



観劇は、ようやっと週に一度赴くことができるようになりました。が、まだ今月に入りまして二本しか観られておりません。

道すがら、冬に向かう空っ風を浴びつつ、
どこかの花壇に植えてある夏の花、おしろい花が花をつけたまま頭を垂れて萎んでいて、
はて?この季節にまだいらっしゃったもんかな、など、いつから夏の蝉が鳴かなくなるのかはっきり覚えていないみたいに季節の終わりは季節の到来のどこかでひっそりとしているようです。



観劇。
劇場はエネルギーに溢れておりました。タフです。観るも観られるも。
以前、子育ての真っ只中の友人が合間を縫って舞台を観にきてくれた折に、兎に角エネルギー!と連呼して帰っていったのですが、
この度やっと実感するにつき。

単にエネルギッシュと言いたいわけではなく、
様々な種類のエネルギーがあり、陰陽強弱、様々な過程のエネルギーがあり、それは箱におさまっているものじゃないという実感です。脈々と波打っているのです。
エネルギーが無いと、しん、とするのです。そういう出来事、対象を、対照的に思い出してしまうくらい、躍動している場所でした。


そこに居る息づいている、という作用そのものが、観ていた私にいたっては懐古を刺激されまして、しばらく涙腺の蓋を解放したのであります。