人生色々あるよケセラセラと心意気の深い先輩方に囲まれて、心境、はっと立ち止まってしまった足取りに、こういう景色もあったのか雨の景色も晴れの景色もまた一興。
さて一歩踏み出してみるかまだ一歩が出ないけれど。

通信で。用が足りてしまうこの世のなか。
それでも生のお芝居が観たい、
足を運んで下さる、
本当に有難うございます。

実像にあいにくるってのは、情熱の化学反応に逢いにくる。
いい芝居には純化した情熱がありまして、キラキラギラギラサラサラザラザラギトギト、いつまでも心に残って眩しくって痛いもんです。
ああ痛い!生きてるんですね。


先日、あやめ十八番「雑種 晴姿
観劇に行きました。

眩しくって、なんて痛いんでしょうね。

主宰堀越涼氏の描く本の言葉の並びには日本語への想いが溢れておりまして、
家族への想いが溢れておりまして、
純化して純化して、キラッキラと痛いこと。さながら日本刀です。
(いい意味です)


雑種 晴姿には、参道でお団子屋さんを営む母と三姉妹の、朝晩風雨晴天流れる四季折々に出逢った人々との「一期一会」が描かれておりました。

一期一会、よく使うようになってしまいましたが、安直には使わないようにしたい言葉です、けれど、生きてく日々時々は一期一会と言わずに何と言ったらいいのか、稚拙な私の辞書にはありません。
アッとそのときその人と逢っちゃう、アッと境遇に遭っちゃう、アッとアッ……?と気づいちゃう。一突きで、思わぬ方に玉が転がっていっちまう。毎日同じような時間でも、雲一つだって光り一つだっておんなじことはないんですね……。

舞台に居る役者さんが一期一会しており、かわりが効かないってこういうことだと人生の相関図のようでした。意地らしい。


堀越氏からの口上が、
切り開くような切れ味の声音と言葉が大変に鮮烈で切実で。年々泥につかりながらヘトヘト生きてって、そこで鮮烈な光明に遇うと、のっけから涙腺がつんと穿たれるわけです。

終盤の格言もまたとても意地らしい。
氏が仰るように、誰かの人生に登場できたらそりゃもう幸いです。
「いらっしゃいませ!」って意地らしいですね……。人生、足早に過ぎ去っていきます。


と、ふっと振り返った景色が大変眩しくて、
もう会えなくなっちゃった人たちになかなか会えない人たちに、会ってまもない人も、兎に角出会ってくれた人や状況や境遇に、言いたくなりましたよ、覚えていられることは覚えてます。


大変大変佳い舞台でした。まさに晴姿。
もうすぐお盆ですね。光陰矢のごとし。