来春の休養明け目指しまして、
闇夜みから。
カサカサと落ち葉を踏み、もう桜の葉も散っていたのだ冬なんだ。文では気楽な印象ですが、こころもちは登山八号目あたりにつき、視野は狭く、視線は足の少し先です。



観劇は、ようやっと週に一度赴くことができるようになりました。が、まだ今月に入りまして二本しか観られておりません。

道すがら、冬に向かう空っ風を浴びつつ、
どこかの花壇に植えてある夏の花、おしろい花が花をつけたまま頭を垂れて萎んでいて、
はて?この季節にまだいらっしゃったもんかな、など、いつから夏の蝉が鳴かなくなるのかはっきり覚えていないみたいに季節の終わりは季節の到来のどこかでひっそりとしているようです。



観劇。
劇場はエネルギーに溢れておりました。タフです。観るも観られるも。
以前、子育ての真っ只中の友人が合間を縫って舞台を観にきてくれた折に、兎に角エネルギー!と連呼して帰っていったのですが、
この度やっと実感するにつき。

単にエネルギッシュと言いたいわけではなく、
様々な種類のエネルギーがあり、陰陽強弱、様々な過程のエネルギーがあり、それは箱におさまっているものじゃないという実感です。脈々と波打っているのです。
エネルギーが無いと、しん、とするのです。そういう出来事、対象を、対照的に思い出してしまうくらい、躍動している場所でした。


そこに居る息づいている、という作用そのものが、観ていた私にいたっては懐古を刺激されまして、しばらく涙腺の蓋を解放したのであります。

舞台活動、ご関係者様、観劇に足を運んでくださった皆様、お言葉そえてくださった皆様、
本当に糧をありがとうございます。
8月の後半より来年の頭まで休養をとることに致しました。
また復帰の折りは、今までを省みた成果がでますよう取り組んで生きていきたいと思います。
お会いできましたこと、何より幸いです。


さて、この一年を振り替えると、といいますか二年を振り替えると、
ほぼ父母不在と今、に向き合うという年になっていたかと思います。
2012年に父が旅立ち、三回忌を迎える2014年に母が旅立ち、先月8月に母の三回忌を迎えました。

これはなかなかにこたえてしまったことで、
遺産相続と言葉にしてしまえばあっけないことなのですが、経験しまして、今まで読んでいた聞いていた遺産相続という言葉の裏にある膨大な事にやっとこさ気を留めることができるようになりました。これは我ながらなかなか悲しいことでした。

実家の行く末はまだ決断にいたっておらず、
やることはしこたま残っている、空を見上げれば父母と共にあった人生を考えてしまう、という矢先に身体を壊してしまったわけです。
身体を壊してしまって、各方面関わろうとしている、関わってくださった方々、に多大な迷惑をかけてしまったのです。
こうなるともうお詫びすら文字以上の力を持ち得ず、ひたすら申し訳なく生きておりました。


申し訳ないばかりでは何も今に響きませんので、半年、しっかりと自分の足場を踏み込もうと思いまして、
様々な面からの相続(物理的なものから思考的なものまで)をやりきってしまおう、と
本年から来年頭まで休養の期間を設けました。


正直出産するまでは自分ってのはタフな部類に入るんだと思わずにはいられないくらい、
日々を動き回っており、そのときには目標があると信じており、情熱が潮のようだとは夢にも思わず、もしくはそうならないよう、心の方は何かあったときに解放できる場所があったと信じていましたが、
家族、というベース(いつも一緒に居なくとも※ここが鬼門)、場所とは大変ありがたい場所だったのです……。
説明ではなく小説が書ければ何か説得力があったかもしれません。しかし、こうなったんだもの書くことをしていくかもしれません。
云々。
もうひとつ、子育てブログも滞らせており、そっちにも書いていこうと思いました。



この休養期間中、衣装のお仕事、3本やらせていただくことになりました。


2016年9月 花村

何ヵ月も書かずにおりました。週刊ブログとうたいながら、月刊にも至らず。
面目ない思いを抱え、ようやっと言葉が外に出てくる今、この半年についてを振り返りつつ、
今、を綴っていくかと思います。

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